ブラックママシンドローム vol.2「虚言壁」

「あたしね、社長なの。」

習い事の帰りに寄ったカフェで、マリちゃんは自信に満ちた笑顔でそう言った。
渡された名刺を見ると、「薮川工業」とある。
自身が経営する会社(実態はメインで動いているのは旦那なのだろうが)のWEBサイトを作ってほしいらしい。
私はWEBデザインの仕事もしているから、おそらく安く作って欲しいという相談だろう。

「社長」という部分を若干強調したように感じたが、そこはあえてスルーしておいた。

マリちゃんは子供の習い事で知り合ったママ友だ。習い事と言ってもかなり本気の空手だから、練習は週に4回はあるし、試合も頻繁にある。毎日のように顔を合わせるから突然の頼みも無下に断ることはできない。マリちゃんは舌ったらずな猫なで声で話をつづけた。

「実は社員が2人引き抜かれちゃって。今すごぉく人手が足りなくて困ってるの。」

「引き抜き?それは大変だね。だからサイトで採用募集したいっていうわけね。」

「そう。うちみたいな小さい会社で2人も引き抜かれたら、商売あがったりなんだよねぇ。仕事はあっても納品ができないから、本当に潰れちゃうかもしれないっていう危機なの。それもね、引き抜いたっていうのが、同じ道場の川口さんなのよ?」

「ええっ?!」

同じ道場の保護者同士がたまたま同じ職種の別会社を運営していて人材の強奪戦とは。
いくらなんでもきな臭すぎる。
川口さんと言えばまだ入門したばかりのおとなしそうな親子だが、あの家のお父さんが同業者から引き抜きをやったというのだろうか…?子供の習い事まで同じなのに…?

「うちの従業員はほんっとにバカだから、私が川口さんと同じ空手道場だっていうことなんて全く知らずにノコノコと引き抜かれに行ってさ。バレてんの。ちゃんとお給料もあげてたのにヒドイ話だよねー。」

「へえ…。川口さんいい人そうに見えるけど、けっこうすごいことやるんだね。」

「そうだよ。人は見かけによらないよ。」

先ほどの猫なで声が嘘のように、マリちゃんの声は憎々しげに熱を帯びた。
WEBサイトについては簡単なものでいいという条件で、ドメイン取得からサーバー設定などすべて込みで15万円ほどということを伝えてその日は別れた。

翌日、マリちゃんから着信が。

「昨日はありがとう!あれから旦那と話し合ってさ…うちのサイトは住所と電話番号だけの本当に簡単なものでいいから、もっと安くしてもらえって言うのよ~。」

嫌な予感がした。知り合いという特権をフルに活用して図々しくのっかってくるタイプか。こういうタイプは付き合ってもロクなことがないのだ。だがしかし、こんなとき知り合いだからこそ気まずい。
ええい、乗り掛かった舟だ。同じ道場の仲間と言うこともあるし、事業の危機らしいし、さっさと終わって手を切ろう。
5万でいい。でもそれ以下には下げられないと伝えた。

さらに翌日。またマリちゃんから着信があった。

「今ちょうど、サイトを作りませんか?って営業がきてね~。その会社は月額契約だっていうから断ったんだけど、こんなサイトを作れますよーって見せられたサイトがあるの。ねぇ、こんなイメージで作れない?」

開いた口がふさがらないというか、呆れるというか。昨日まで住所と電話番号だけのサイトでいいと言っていたのに、値段が下がるとわかったらいきなりイメージの要望。こんな人がクライアントだったら即契約を切るんだけれど、知り合いなだけにタチが悪い。

結局値段は8万まで戻したが、イメージは要望通り仕上げたことでマリちゃんは大満足だった。
私にとっては大赤字で、何のメリットもなかったが…。

それからしばらくして、川口さんと話す機会があった。

「以前、マリちゃんのお宅とトラブルがあったようなことを聞いたのだけど…。」

「ええ、あのときは大変でした。薮川さんの従業員が、お給料を満足にもらえないから雇ってくれって頼んでいらして。最初はお一人だったんですが、結局つられる様に二人…。もちろん薮川さんとは話がついているということだったので採用の話が進んでいたんですが、結局ついていなかったんでしょうね。あるとき藪川さんのご主人が『うちの社員を引き抜くとは何事だ!!』って怒鳴り込んでいらして。社員さんは戻さざるを得なくなりました。」

何と言うことだ。マリちゃんの言っていた「引き抜き」の実態は、社員の「逃亡」だったのだ。

「しばらくしてからその社員さんに、あのときはすまなかったと電話をかけたんです。そうしたらその社員さんが言ってました。社長に、『一生こき使ってやるからな。』と言われた、と。」

嘘で塗り固めたハリボテ。マリちゃんはその上の社長だった。
マリちゃんの子供もまた、嘘と盗みがやめられないのだけど、それはまた別の話に。




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