ブラックママシンドロームvol.1「オール5」

次男(中3)のママ友にサチコさんという人がいる。
同じマンションだからよく顔を合わせるし、たまに「うちでワインでも飲まない?」と招いてくれる、気さくな線の細い美人だ。
自宅へ行くとキャロットラペやオリーブのマリネ、チーズといった品のよいおつまみが並び、ワインクーラーから高級そうなワインを取り出して注いでくれる。ハロウィンやクリスマスにはホームパーティーに誘ってくれるし、夏には自宅プールで遊ぼう、冬には雪遊びしようと、ことあるごとに声をかけてくれる。

本人は以前「翻訳の仕事で週に1度新幹線の距離の事務所へ出かけているの。」と話してくれたから、賢そうな旦那様と合わせればもちろんそれなりの収入はあるのだろう。

次男の同級生であるサチコさんの息子、タクヤはザ・優等生と言った感じの秀才で、ハキハキとあいさつもするし成績も優秀。小学校3年生まではインターナショナルスクールに通い、地元の公立高校へ転入してきたという筋金入りの「良い子」だ。週末はテニススクールへ通い、英検は2級。
マンションで親子とすれ違ったとき、英語で会話しているのを見かけたこともある。それでも教育ママというようなキツイ感じではなく、あくまで優しく明るい理想的なママ、それがサチコさんだった。

次男とタクヤの関係はとても良好だった。次男は小さな時から空手をやっているのでスポーツこそ得意ではあるが、成績は中の中。それでも小学生のときにタクヤが同じ小学校に転校してきてからはお互いに「親友」と呼び合って誕生日プレゼントを交換したり、出かけたりととても仲が良かった。
…そう、あるときまでは。

あるとき次男が言った。
「もうタクヤとは遊ばん。めちゃくちゃうざいアイツ。」

話を聞くと、一緒に帰ろうと思って校門で待っていたら、他の友達と一緒に次男を無視して帰ってしまったらしい。訳を聞くと

「だってお前うるせえもん。」

とけんもほろろだったらしい。その後も、謝ったり訳を聞いたり、友達を介して聞いてもらったりいろいろと手をつくしたけれど、ふざけるばかりで取り合ってくれなかったとのこと。そっちがその態度ならこっちも、と絶交状態になってしまったのだとか。

中学生らしいと言えば中学生らしいケンカだが、理由もなく縁を切られるとは穏やかではない。ただ、お互い他にも友達はいるし、本人たちもすっかり険悪。この歳になって親の出る幕でもないだろうと放っておいた。

そうなると親同士も疎遠になっていくだろう…と思っていたのだが、
サチコさんからどうしたものだか頻繁にLINEが届くようになった。
塾のこと、受験のこと。高校のこと。志望校のこと。

「〇〇高校はお母さんの出身校だよね?どんな感じ?」
「△△高校のオープンキャンパスはすぐに埋まったみたい!」
「××塾はどんな感じ?対策はしっかりしてるのかしら…」

あまりに質問内容がプライベートだし、ましてや子供同士がケンカ中なのにいろいろと聞かれても気分が悪い。しばらくスルーしていると、

「〇〇塾では、今年の私立受験の情勢はどうなるって言ってた?」

追撃LINEが来た。
うちの子の通う塾は受験の情報に詳しい。定員や合格率など、公開されているよりずっと突っ込んだ内容を把握している。
サチコさんはきっとそれを聞きたいのだろう。
仕方がないのでこちらもはっきり聞いてみることにした。

私「ねえ、うちの子とタクヤ、ケンカしてるみたいなんだけど聞いてる?」
サチコ「ああ、なんか、タクヤが怒らせちゃったみたいで、しかも謝り方も悪かったみたいで…。いつか仲直りしてくれるといいね。子供同士のけんかに親はなかなか口出しできないもんね。」

う~ん…。
子供のけんかに親が口出しできないのはその通りだけれど、それはやられた側が言うセリフであって、怒らせたほうが言うことではない。
子供のケンカだから言った言わないのすれ違いがあるにしても、怒らせた事実と謝り方が悪かった事実を自覚しているのなら、それなりに態度があるのではなかろうか…。

以前もこんなことがあった。
一緒にワインを飲んだ夜。サチコさんはタクヤの進路を心配していた。タクヤの志望校は区内でも人気の公立進学校。私は地元育ちで近隣の進学事情も多少はわかるけれど、サチコさんの実家は遠方ということもあっていろいろと実情を聞きたいのだろうと思い、私もできる限り情報提供した。
散々飲んで散々しゃべった挙句、でも真面目なタクヤなら大丈夫だよ、と私が言うと、サチコさんは

「タクヤ、オール5なの。」

とポロっといった。その目はどこかうつろで、なぜか不安げだった。

あのときの表情。あれはいったい彼女のどんな心理を示していたのだろう。
内申点でオール5あれば、よっぽど当日にミスをしなければ合格するはず。一体全体なにをそんなに不安がって、私から情報を聞き出したいのだろうかと、そのときは不気味にさえ思った。

そして今回のLINE。ずっと忘れていたけれど、この人はきっと、とても過保護な教育ママなのだろう。タクヤを縛って、努力に努力を積み上げさせて、真綿でくるむように圧力をかけてきたのだろう。そのツケがたまってうちの子とのケンカにもつながったのか…。確信はないけれどどこか胸騒ぎがして、なんだかやるせなかった。

結局私はLINEを返さなかった。サチコさんの責任回避のような態度がどうも心にひっかかって、子供同士の関係を超えてまでも親切にする必要性を感じられなかったのだ。おそらくサチコさんが聞きたがっていた私立の受験情報も、伝えることはなかった。

ある日、次男が塾から帰るなりこう言った。

「最悪!タクヤが俺の塾に入ってきた。」

なるほど、サチコさんはタクヤをうちの子の塾に入れたのだ。
情報がもらえないなら、自分で取りにくるというわけか。
もちろん、前の塾は辞めていない。ダブル通塾だ。
そのやり方はもはや狂気的ですらあった。

気になる受験の結果は、まだ出ていない。
タクヤはどうやら志望校を落としたらしいが、それがどういう意図なのか、家庭内でどんなことが起こったのかは定かではない。

今でもマンションの廊下ですれ違うと、サチコさんは明るい声であいさつをしてくれる。タクヤの妹は中学受験をするらしい。彼女は彼女なりに、子供たちの進路を必死に考えている。息子が、親友と呼べる友を失ったとしても。

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